夢に生きた男がいた。
夢を支えた愛があった。
おはようございます、こんにちは、またはこんばんは、たまプラーザ店の鈕(ちゅう)です。
2月20日から2日間、私たちは余市蒸留所見学の機会をいただきました。
私、蒸留所を訪れるのは2回目となり、初回はNHK連続テレビ小説「マッサン」をまだ観ておらず、今回はきちんと視聴してからの見学。前と違った目線で蒸留所を見学することができました。
冒頭の文はニッカウヰスキーのHPに掲げられた一文です。
蒸留所では随所に竹鶴政孝と妻リタがそこで生活をし、ウィスキー作りをしていたことを感じることができます。
ドラマのシーンを思い出させるような場所も多数あり私の胸を熱くさせました。
2回目の余市蒸留所は私にとって、とてもロマンチックな場所に感じられました。
「日本で本物のウイスキーをつくりたい」
果てしない夢に生涯を捧げた、ニッカウヰスキー創業者である竹鶴政孝。
彼の傍らにはいつも、ひとりのスコットランド女性、妻のリタの姿がありました。スコットランド留学中の竹鶴政孝に出逢ったリタは、その真摯な情熱に魅かれ、彼と共に夢を追うことを選んだのです。妥協することなく夢を追い続けた竹鶴政孝。 愛をこめて彼を“マッサン”と呼び、共に生きたリタ。ふたりの想いと情熱は日本のウイスキーづくりにしっかりと受け継がれ、未来を切り拓く力として生き続けます。
「頭の良い日本の青年が、1本の万年筆とノートでウイスキーづくりの秘密を盗んでいった」
そんな風に言われるようになるまで竹鶴政孝ががむしゃらに夢を追いかけられた背景には支え続けたリタあってのこと。
20世紀初期に外国人として日本に来ることは今よりよっぽど大変なことだと思います。ドラマを見てても感じましたが、日本のルールや文化なんも知らない、知ってる人は自分の夫の竹鶴政孝のみ。さらに、その見た目はどこからどう見ても外国人。多かれ少なかれ嫌なことをたくさん言われ続けてきたことでしょう。私が日本に来た時は、周りに知ってる人が全くいなかったので、早く溶け込んで話し相手を作ろうと必死でした。1人でも信頼できる方がいたリタさんはとても羨ましく思います。それでも日本に来て竹鶴政孝を支え続けるのはとてつもなく覚悟が必要だったことでしょう。
竹鶴政孝はプロポーズの時「スコットランドに残っても構わない」と言う、「私はあなたの夢を共に生き、お手伝いしたいのです」と答えたリタ。漬け物や塩辛まで手作りし、彼女は、人々に「日本人以上に日本人らしい」と言わしめるほど、日本の生活に溶け込もうと努力を重ねたのです。
同じ外国人として、本当に尊敬するしかないです。それにその気持ちもすごくわかると思います、誰かのために何かをやるのはとても幸せなことです。竹鶴政孝もそんなリタのことを信頼して愛してる、だからこそ夢を追い続けることができたのだと思います。
余市蒸留所は私にとってただの蒸留所ではないと思います。そこは竹鶴政孝の情熱とリタさんの愛が息づいている土地。来るたびに、自分の想いが奮い立たせられるようです。皆さんもどうか二人のように追いかける夢や愛せる人が見つかるように心から祈っております。
この素晴らしい機会を提供してもらえたことに心から感謝し、この経験を糧に、新たな視点やスキルを得ることで、仕事においてもより一層の貢献ができることを誓いつつ、今回の旅行記を締めさせていただこうと思います。
たまプラーザ店 鈕(ちゅう)