音楽。
古来より人類の友として、常に傍らで寄り添い共に生きてきた音楽。
それは人間の文明の発展にまで影響を及ぼし、この現代でも我々から発せられる数多の情念に、極彩色のいろどりを与えてくださる素敵な隣人です。
音楽は好きですか?
最近わたしは専(もっぱ)らロマン派から印象主義のクラシックピアノ作品や原初的〜現代プログレッシブ音楽ばかりを聴いていて、前者で言えば艶(あで)やかな色濃いメロディラインから調性が朧げになったり、後者は目まぐるしく交差し変わるリズムやメタモルフォーゼ的モチーフに、脳が錯乱したり、と少々聞き辛い物でして、集中して聴かなければ中々頭に入ってこなかったり……
ただ面白いことに、常日頃嗜み慣れ親しむと、あまり違和感を覚えなくなり、すうっと頭に入り、ふと我に帰ると自分でも不思議に思う事が度々あります。
音楽とは、音の羅列を巧みに配列し、芸術に昇華した物でして、それ以外にも、我々に密接に関わる音というものがあります。
それが生活音。
その類いは生活の中、意識しないと中々認識できなかったり……と、ある種の奥ゆかしさ(?)を感じさせてくださります。
駆け巡り綯い交ぜになる車の走る音や、風が吹き漣立つ川の流れの音、靉靆(あいたい)の空篠突く雨の音、悦に翻る蛍、泥(でい)に耽溺するあめんぼうなど、この世には様々な音が目まぐるしく駆け回り揺蕩っています。
数年前、忘れもしない朝方の帰り道、ボケボケェっと遊泳するかの如く帰路についていたのですが、その時、疲弊しきった心体に、突如未知の音が走ったことがありまして、「なんだ???」と訝しげに辺りを見渡したのですが、特に目立つ物もなく項垂れていると、唐突に頭上にそれは”鳴った”のです!
目を凝らすと其処には一羽の薄緑の鳥がいて、「はぁ」とその音の元凶に足が止まりまして、そのまま全ての時間や時代が停止したかの如く、身じろぎすら儘ならず、その音に聞き耽けり佇んでいました。
後々調べると、それは外来種のガビチョウという鳥でして、日本の野鳥図鑑にものせられていない、謂わば孤独の鳥なのです。が、わたし個人に与えてくださった物は、確固たる癒しと感動だったと……
そんなガビチョウですが物真似がお上手でして、鶯や杜鵑(ほととぎす)他にはセミのツクツクボウシなどの真似などして、我々を囃し立ててくださり、ある種のミニチュアな祭りのような明朗で素敵な鳥なのでした。
そんな素敵な鳥に励まされ少し前向きになれた自分ですがまだまだ世の中には色々な音があります。
野鳥の囀りもそうですが、生活の中には数多の意識して聴かないと中々聞こえない音というものがありまして、例えばbarという一つの空間としては、基本的にバーテンダーの方は清楚な山椒魚(さんしょううお)の様に、静寂を大事にし、穏やかな動作を心がけるのです。
が、その反面動く時はメリハリを効かせ緩急ある動きをしたり……
なのでbarの中でする音と言えば、バーテンダーの方が振るシェイカーの音でしたり、氷を削る音でしたり、脳裏で揺蕩う帷のようなBGMのジャズの音でしたり……
ある種の浮世離れした音の集合体なのですが、その飛沫が会合し寄り添い肩を並べると、瞬く間にbarという一つの空間を織りなし形成し、それはすごく素敵な物なのではないかと……個人的に思います。
その様な生活の細部まで密に関わりのある”音”という物に、偶には枕を預けてみるのもまた一つ風情なのかなぁと思ったりしました。
さて、いよいよ夏本番!此れからはどうしようもなく燃え滾る日輪の熱視線や、蝉たちの合唱に、涼やかな風鈴の音、そして宵にさざめく波の音、といった様々な夏の音や夏の香りが目まぐるしく押し寄せてきます。
気が向きましたら涼をとりに或いはウィスキーやカクテルに耳を傾け新しい音を聴きにbarへ行くのもまた風情なのではないでしょうか!
そしていつでも時代屋はあなたのお帰りを心よりお待ちしております。